松尾英和です。
今日は、3月3日、耳の日です。
そこで、僕の原体験となることを書いてみようと思います。
※文中の登場人物の敬称略
耳、とは、音を聞くためのもの。
僕にとって、十代後半から二十代は、音楽を聞き、そして、ギターを弾くことに憧れ、明け暮れた。
「譜面ではなく、音を聞いて、覚える」という長渕剛さんの言葉を真に受けて
朝から晩まで、同じ曲をかけっぱなしで、聞き続けていたのは、今になれば、ただの笑い話だ。
やがて、音楽は、自分の仕事にできないことを悟り、新たなやりたいことを探す旅が、始まった。
旅、と言っても、迷走だ。
20代の前半から、アパレルの物流、宅配便の仕分け、ビルの掃除など、とにかく時給がよくて、人との関わりが少なそうな仕事を基準に選んでいった。
人付き合いが、わずらわしかったからだ。
そして、一念発起して、転職したIT系の営業会社。
見込み顧客とのアポイントが取れず、また、運良くアポイントが取れても、緊張と、そして自信がないのとで、商談にすらならず、あっという間に「いらない」と断られて、まったく売れない。
まるで、先の明かりの見えないトンネルを進んでいくように、無力感や絶望感が支配する毎日。
休日には、営業の本を読んで、勉強をするが、まったく成果には、つながらない。
屈辱のランチ事件
あるとき、同僚の何人かと、会社の近くに、昼食を取りに行った。
行くのは、職場の同じビルの地下にある定食屋だ。
僕は、歩合給が、ほとんどない底辺社員だった。
お金のことを考えても、できれば、外食なんて、したくない。
できれば、コンビニ弁当とか、パン食べるとかで、終わらせたいくらいだった。
でも、そんなことをすると、益々自分が惨めになるだけ。
そして、誘われたら「NO」と言えない、気の弱い自信のない自分が全面に出ているから、断れない。
だから、行きつけの定食屋に行ったら、必ず、一番安い定食を頼むようにしていた。
サバ定食か、唐揚げ定食かの二者択一だ。
同僚たちは、それ以外の定食を頼んでいるが、100円でも、50円でも節約したい自分は、そうした”高額な”定食は、一切頼まなかった。
収入が少ない以上、昼食費を削るのは、当然だ。
でも、それは、とても惨めなことだ。
そして、ある日、とうとう、それが、バレる時が、やってきた。
ある同僚が、あざけ笑うように、こう言い放ったのだ。
「松尾さん、一番安い定食しか頼んでないですよね?」
返答できなかった。
ぐうの音も出ない、というのは、こういうことを言うのだろう。
上司からも
「お前は、コミュニケーション力がない。だから売れないんだよ!」
と怒られた。
でも、いくら怒られても、売れるようにはならなかった。
結局、ずっとコミュニケーションに自信がないまま、結果が出ないまま、心身の不調で、ドロップアウトした。
聴くことで人生が変わる
自信がなくて、自信を付けたくて、日本メンタルヘルス協会の心理学スクールの門を叩いた。
セミナーは参加したことなかったし、自分のコンフォートゾーン(快適領域)の外にある世界だったが、藁にもすがる思いだった。
そこで、最初に聞いたことは「聴く」ということだった。
話を聴く、悩みを聴く。
聴くことの講座だったが、自分の悩みが解消された。
僕は、自信がなかったのだ。
自信がなかったから、「とにかく営業会社に勤めて、歩合給をたくさんもらって自信さえつければ」
と考えていたが、その考えこそが、浅はかだったのだ。
僕の悩みの本質とは、自信がないこと。
自信がないから、自分を認められない。
自分を認められないから、自分が嫌いになる。
嫌いな自分でいるから、僕と関わる人は、心地が悪かったはずだ。
僕と関わっていると、疲れるというか、しんどいというか、イタイというか。
そんな僕の悩みを吹っ飛ばしてくれたのが、カウンセリングの大家カールロジャーズ の言葉だった。
I love you, because you are you.
あなたが、あなただから、私は、あなたを愛しているんだ。
きっと、誰かにそう言って欲しかったのだろう。
親に、友達に、上司、同僚に。
ずっと言われたい、と渇望していた言葉を、代表の衛藤先生から間接的に聴いたときに
これまで、自分が創り上げてきた”偽りの目標”=誰かに認められなければ価値などない
という神話が崩壊した。
ずっと欲しかった答えが、見つかった。
「聴く」をもっと学びたい。
僕にとっての新しい旅が始まった瞬間だ。
私たちは、誰かの代わりに与えられている
もう一つ、僕の原体験になることを、書いてみようと思う。
これは、多分、誰にも言ったことのない話だ。
今風の言葉で言うと、僕的には、とてもセンシティブな内容、になると思う。
書いて後悔したり、誰かに叩かれたりしたら、こっから下の文章は、全部消してしまうかもしれない。
時は、高校三年生の頃に、さかのぼる。
僕は、帰宅部だった。
自称”帰宅部のエース”と言っているが、このネタは、よく滑る。
なぜ、帰宅部に入ったのかというと、やりたいことが、なかったからだ。
それに、部活をやると、夜が遅くなったり、人付き合いも、めんどくさい。
何よりも、自信がない自分だったから、できるだけ失敗(というか本当はチャレンジだ)を避けたかったのだ。
さらに言うと、部活よりも、アルバイトがしたかった。
アルバイトをすると、お金がもらえる。
お金があれば、親に小遣いをもらわなくてもよくなる。
僕は、両親が、嫌いだったのだ。
いつも、否定されるし、怒られる。
親の言うとおりにするのは、とても不自由だから、僕に選択できるのは”反発”というカードだけだった。
反発が、反発を呼び
理解されないもどかしさから
どんどん、殻に閉じこもる自分になっていった。
だから、高校生の僕にとって、お小遣いを稼ぐアルバイトをすることは「自由の獲得」という、自分なりの大義があったのだ。
朝の新聞配達を始めた。
朝5時に起床。
それまで、ギリギリに起きて学校に嫌々行くスケジュールで、7時30分に起床だった自分にとっては、結構なチャレンジだ。
でも、それだけ早く起きても、自由が欲しかったのだ。
ただ、高校生と言えば、夜は遅い。
もちろん、遅くまで勉強をしているわけではない。
学校の勉強は嫌いなので、できるだけ、やらない。
遅くまでやることと言えば、長渕剛の唄を聴くか、プロレスのビデオを見るか、長渕剛のビデオを見るか。
この三択しかない。
長渕剛の唄の世界に、自分の人生を投影した。
「そして生きてく勇気が欲しくて それでも死ねない自分がなお悲しいんだ」
※「花菱にて」より「本当のことを言えば きっと楽になれるさ」
※「くそったれの人生」より「傷つけば傷つくほど やさしくなれた」
※「昭和」より
小学生の頃から、生きるとか、死ぬとか、そういうテーマの唄を好んだ。
長渕剛は、流行っていたが、みんな、きっと、流行りで聞いていたのだろう。
でも、自分は、流行り廃りではない、何かを感じて、聴いていた。
だから、今でも、長渕剛ファンを、やっているのだろう。(ファン歴32年)
また、弱い自分は、屈強な肉体で、限界まで戦うプロレスラーに憧れて、ここでも自分を投影した。
今思うと、投影の世界に逃避することで、少しでも楽な世界にいれたのだろう。
友達も少なく、もちろん彼女なんているはずもなく、家族との交流もなかった自分にとっては
長渕剛やプロレスラーたち(当時で言えば、三沢光晴、小橋建太、大仁田厚など)は、救世主だった。
痛みに耐え、血を流すことがあっても、自らの命を、四角いリングに懸ける男たちの姿は、自分の姿を鼓舞してくれた。
また、高校の授業の合間の休憩時間は、睡眠か読書の二択だった。
この頃には、もう人付き合いが苦手だった自分にとって
「休憩時間を一人で過ごす」というのは、課題の一つだった。
そこで始めたのが、読書だ。
とはいえ、当時は、Amazonのようなサービスはない。
近くの書店に行って、安価な文庫本をひたすら買った。
ない本は、注文した。
注文してから、クソ田舎の島根の片田舎の本屋に届くのは、なんと二週間という、現代で言えばスーパークレームレベルのことも、それが当たり前に受け入れられていた時代だ。
そして、太宰治、川端康成、そうした文豪の本を読んだ。
当時、教室内で、読書をしている同級生は、誰もいない。
みんな、楽しそうに会話をしている。
今、思い出しても、変わった人間だった。
「これだけは覚えておいて」と言われて、今も覚えている先生の一言
ここまで読んでいただき、本当に感謝の気持ちで、いっぱいである。
なぜなら、これだけの時間を使って、文字を読んでいただいて
やっとこさ、ここから、本当に、言いたいことが、やっとこさ、始まるからである。
なぜ、ここまで、言いたいことを引っ張ってしまったかというと、それは僕の与太話を聞いてほしいわけでもなく
ましてや、なにか、よい言葉を投げかけてほしいから、でもない。
僕のこのダメっぷりの背景をある程度、わかっていただいた前提で、これからの話を読んでほしいから、である。
18歳。高校三年生の生物の授業だ。
僕は、生物など、好きでも、得意でもない。
ましてや、生物の授業を受け持つY先生のファンでもなんでもない。
生物の授業は、気が向いたら聞くし、向かなければ寝る。
そんなスタンスの授業なのだ。
遺伝子とか染色体とか、そういう内容の授業だった。
で、Y先生は、こう言った。
「たくさん生まれてくる人の中で、染色体が正常でないことで、それが障がいという形になってしまう人がいる」
「それは、確率の問題であって、誰がそうなるかわからない」
ということだった。
内容を、カンタンに言えば、これだけの内容である。
もしかしたら、今、読んだあなたも「それが、どうした?」という強烈なツッコミを入れたいことだろう。
そして、それから、25年、別の言い方をすれば、四半世紀がたった今。
40人いたクラスの人間の何人が、この話を覚えているのだろう?
それから、ふとしたときに思い出すのだ。
「これだけは、覚えておいてくれ」
そう言われたら、覚えたくなる人間が、僕だ。
僕は、生物学の先生でも、専門家でもないし、詳しいことは、よくわからない。
でも、あのとき、Y先生が、言ってくれた言葉
「たくさん生まれてくる人の中で、染色体が正常でないことで、それが障がいという形になってしまう人がいる」
「それは、確率の問題であって、誰がそうなるかわからない」
を、僕なりに、言い換えたら、こうなる。
「健康な状態で生まれたことは、決して、当たり前ではない」
「障がいを持って生まれてくる方もおられるが、それは自分の代わりにそうした宿命を背負ってくださっている」
「だから、その人たちの分も、精一杯生きなければならない」
と。
僕が、こうして、Y先生のことを、覚えていられることも、もう一つ理由がある。
それは、僕の弟が、聴覚障害を持って生まれてきたことだ。
父と母の苦労たるや、今、思うと大変だったろう。
それでいて、長男の僕が、このように、わがままで、勝手きままなのだ。
今さらながら、両親には、頭が下がる。
そんな状況だからこそ、僕は、思うのだ。
趙キレイ事を言えば、僕は、弟や、聴くことに、生まれながらにして不自由がある方々の代わりに
「聴く」という使命を与えられている。
そう思うのだ。
25年前に聞いたY先生の言葉は
「お前は、誰かにはできない宿命を背負っている」
ということだ。
あのときの40人の他の39人が、誰も覚えていなくてもいい。
誰か代表で、たった一人でもいいから、覚えていて
それを体現したり、発信できていれば、Y先生に報いることができる、というものだ。
あなたの耳は、聞こえるか?
聞こえるならば、それは、あなたに与えられた貴重な資産だ。
あなたの目は、見えるか?
見えるならば、それは、あなたに与えられた貴重な資産だ。
あなたの手足は、動くのか?
動くならば、それは、あなたに与えられた貴重な資産だ。
私たちは、とんでもないほどの資産を与えられているのだ。
そして、一方、その資産を与えられない人もいる。
そのことを、どのくらい理解できているのだろうか?
「誰かの代わりに、自分は、この偉大なる資産を与えられている」
それが、肚落ちしたら、どのくらいすごいことが、できるのだろう?
僕の人生の目的は、きっと「聴く」ということだ。
自分で、勝手に、そう決めてしまった。
本当は、音楽業界で、華々しい活躍をしたかった。
何万人という人たちの前で、自分を表現できたら、どれだけのエクスタシーを感じるのだろう?
しかし、まあ、そんなことは、この際、どうでもよくなった。
目の前の人の話に、耳を傾けるのだ。
耳を傾けるだけではなく、しつもんを入れてみるのだ。
聴くこと。
しつもんすること。
たったこれだけのことで、人が変わることを、これまで、たくさん見てきた。
ここまで、読んできたあなたに、お願いがある。
ぜひ、このオンラインスクールに参加してほしい。
僕の集大成である。
「いや、買えるか」と思ったあなた。
それでもいい。
お金も、時間も、労力も、大事な資産である。
どうか、その資産を、ご自身の有益なことに、ご利用いただきたい。
そして、厚かましくも、もう一つお願いがある。
それは、今、在宅勤務や、学校が休みになった、この時期だからこそ
子どもの話
もしくは、親御さんの話を聴いてあげてほしい。
「時間がないから」と、普段言ってしまって、親御さんやお子さんのお話を聴かないでいるあなた。
今、在宅勤務になって、通勤時間が浮いてしまった今、その言い訳は、できなくなる。
ぜひ、聴いてあげてほしい。
「お金がない」が口ぐせのあなた。
残念ながら、耳を傾けて聴くことに、お金は、いらない。
お金と聴くことは、まったく関係ない。
ぜひ、聴いてあげてほしい。
「自信がない」と言ってしまう、あなた。
それは、勉強不足だ。
ぜひ、ここで、学んでほしい。
随分と長い文章になってしまった。
書きたいことを書くと、いくらでも書けてしまうのも、才能なのだろうか。
いや、何かに突き動かされて、書いてしまった。
きっと、僕は、聴くこともだが、書くことも好きなのだろう。
目が見えて
手が動かせるのも
きっと、誰かの代わりにやらせていただいていることなのだ。
まとめると
人生の目的を探す旅に出た。
しかし、それは、幼少期には、既に判明していたし
高校の先生もヒントを与えてくれたし
営業会社や、その前の職歴、などからも、既にわかっていた話なのだ。
よくある結末で恐縮だが
”人生の目的”という青い鳥は、ずっと自分の近くを飛び続けていた
という、なんとも、怒られるほどにカンタンな結論に達してしまった。
最後に
この記事を読んでくださったあなた。
僕に偉大な力を与えてくださっている、どこかのあなたに。
心からの感謝を捧げて、今日の記事を締めくくらせて、いただきます。
本当に、ありがとうございました。