3・11に思い出したいこと

理想の未来を引き寄せ、なりたい自分になるノート術「超変革ノート」

メンタル超変革コーチ・松尾英和です。

 

今日は、3月11日。

2011年。

ちょうど8年前の今日は、東日本大震災が、ありました。

 

一日、一日が大切なんですけど

一年の中には「忘れたら、あかん」という日が、あると思います。

 

今日、3月11日は、そんな日、だと思います。

こちらの画像は

6年前の3月11日に、宮城県・亘理町にお邪魔したときのもの。

仙台の友人・首藤寛之さんとのご縁で、実現しました。

 

今年は、大阪で過ごしていますが

今日は「忘れたらあかん」という、あの日のことを書いていこうと思います。

貢献感に火をつけろ!

2011年の3月11日は、僕は、東京・新宿にいました。

西新宿にある高層ビルの27階。

コールセンターで働いていました。

 

急に、ガタガタと、揺れ出しました。

机の上のデスクトップパソコンが、倒れました。

揺れは、どんどんと大きくなり、やがて立っていられなくなりました。

 

ひざをつき、十本の指で、床を掴むかのように這いつくばって

「ミシミシ」という音を聞きました。

 

頭の中では、この高層ビルが真っ二つに折れ曲がったイメージが浮かび上がって

「ここで、人生は、終わった」と思うような、恐怖体験でした。

 

僕がいた部署は、インターネットの接続のトラブルを解決する部署でした。

通常、トラブルがあった場合は、お客様から

「どうなってんだ!」

「早く直せよ!」

というお叱りのお声も、いただくような部署でした。

 

しかし、、、

そんな怒りの電話をされる方は、そのときは、いらっしゃいませんでした。

 

人って、本当に、大変なときこそ、やさしくなれるのでしょうか?

「自分も大変なときだから、周りも大変に違いない」

こんな真のやさしさが、人にはある。

 

実は、あの日は、やさしさについて、気づけた日だったのかもしれません。

 

そして、翌日から、しばらく出社できずに、自宅待機となりました。

電車が通常運行できなかったり、余震が続いており、出勤や出勤後の業務に支障が出る

と判断されたため、です。

 

でも、それが、なんか、辛かったんですよね。

テレビを見れば、東北は津波の被害もあって、大変な状況。

こんなときに、もう一つ立ち上がる感情が、ありました。

 

それが

「今、何か、誰かの役に立ちたい!」

という湧き出てくるような、想いでした。

 

普通ではない、大変な状況だからこそ、じっとしていられない。

誰かの、何かのお役に立ちたい。

 

人の心の奥底には、そんな想いがある。

今日、3月11日に思い出したいことです。

 

アドラー心理学では

しあわせでいる条件として

「誰かの役に立つ」=貢献感

というものが、挙げられています。

 

心を新たに、目の前の人から、貢献できるように、今日、想いを新たにしました。

 

どんな貢献をしたいですか?

 

 

 

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